アルパイン ブランドストーリーアルパイン ブランドストーリー
BRAND STORY
思想
軌跡
革新
02

世界最速の名車で、
ブランドを築け。

ランボルギーニというキャラクター

2023.02.03

カウンタックと言えば、アルパイン。

Body by Lamborghini. High Fidelity by Alpine.

「ランボルギーニ・カウンタックを見れば、アルパインのオーディオを思い出す」。クルマを愛してきた人の中には、今でもそう言ってくれる人がいる。理由はふたつ。まずひとつは、ランボルギーニの名車カウンタックに、アルパイン製のカーオーディオが純正採用されていた事実があるからだ。

 

1974年に生まれたカウンタックは、V型12気筒エンジンを搭載し、公称値の最高速が300km/hという世界最速を競うスーパーカーだった。1977年、そのランボルギーニ・カウンタックにアルパイン製のラジオ付きカーステレオ「CM-630」が純正採用されたのである。

 

なにしろ最高速300km/h近くまで出るクルマに搭載される訳だから、高いレベルで加速、高速巡航、コーナリングをしても問題なく機能する品質が必要であった。かつ驚くほど高価なスーパーカーのコックピットにふさわしい高級感も兼ね備えていなければならなかった。カウンタックに純正採用されるということは、その証明でもあった。

 

「カウンタックを見れば、アルパインを思い出す」。そこには、もうひとつの理由がある。それは、アルパインがランボルギーニ・カウンタックをキャラクターとして登場させていた歴史があるからだ。実はこのアルパインとランボルギーニとのキャラクター契約の関係は長く続き、私たちアルパインのブランドが形づくられる中で、他にはないストーリーを生み出してきたのである。

 

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ランボルギーニ社に届いた、熱い想い。

ストーリーは、「ALPINE」ブランドの立ち上げの時代から始まる。まず「カウンタックをアルパインのキャラクターに」というアイデアは、のちにアルパインの社長となる石黒征三が生んだものだ。

 

1978年にアルプス電気とアメリカ・モトローラ社との合弁事業を解消することとなり、社名もブランドも「ALPINE」へと一新した。欧州の最高峰モンブランを筆頭に高く美しいアルプス山脈を意味する「アルパイン」。そう名前は決まったもののイメージすべき実態がなかった。

 

アルパインとしては、自分たちを高級ハイファイオーディオ・ブランドとして認知して欲しいと考えていた。しかも日本のみならず、アメリカ、ヨーロッパ、そして世界中でそういったイメージを持って欲しかった。また当時、日本発のブランドとして名の知れたものは、家電もあれば、カメラもあった。さまざまな企業が世界に進出していた。そんな中で「アルパインと言えば、高級ハイファイオーディオ・ブランド」と連想してもらうには、どうしたらいいか。

 

自分たちのブランドイメージを築くうえで石黒が目をつけたのが、ランボルギーニ・カウンタックだった。アルパインのことは当時ほとんど知られていなかったが、カウンタックの知名度はグローバルだ。しかもその存在感は圧倒的で、石黒自身がジュネーブショーで見たカウンタックに魅了されていた。石黒は、ランボルギーニ社に手紙を書いた。自分たちの製品に賭ける想いを切々と訴え、自分たちの夢のキャラクターになってもらえないだろうかと綴ったのだ。そしてこの熱意あふれる手紙の内容にランボルギーニ社が共鳴し、カウンタックをキャラクターとして使用する契約を結ぶことになったのである。以来カウンタックは、アルパインの広告宣伝のいたるところで活躍した。日本でも、テレビCMや雑誌広告、カタログなどにも登場し、クルマと音楽を愛する人々の心を惹きつけたのである。石黒の手紙がなかったら、アルパインとランボルギーニのストーリーは生まれなかっただろう。

 

そして企業として大きく成長したアルパインは1988年3月15日、東証上場を果たした。この節目でもカウンタックが活躍した。その日、日本経済新聞に出稿された新聞広告には、長年ブランドイメージを築き上げてきたカウンタックと、平安貴族が乗った花車による異色のビジュアルが採用された。カウンタックの名の由来にも通じる、まさに「驚き」に満ちた広告が、アルパインのブランドイメージを加速させていった。

 

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最高の音を、次の世代でも。

そして1989年、カウンタックがディアブロへとモデルチェンジすると、キャラクターとしての役目もディアブロへと引き継がれた。当時、ディアブロのデビューは、世界中の自動車愛好家の関心の的だった。アルパインとしては、このデビューのタイミングを逃さずに、広告活動を行いたかったのだが、なにしろディアブロの量産前の車両がイタリア本国にしかなく、ショーや取材に引く手あまたの状態。遠く離れた日本から何度も交渉し、ようやくディアブロのスケジュールが空いたのが、1989年の12月24日から年末にかけて。イタリア人も日本人も、本来なら年末年始の休暇をゆっくりと過ごすような時期であった。

 

アルパインの広告制作のスタッフは急遽イタリアに飛び、まさに12月24日のクリスマスイブからミラノのスタジオで1週間あまりかけて撮影を行った。カメラマンは、色の魔術師と呼ばれる巨匠フランコ・フォンタナ氏。真っ赤なヴェールとともにカメラに収められたディアブロのビジュアルは、年が明けるとさまざまなメディアで使用され、カーショップの店頭でも一際目を引く存在となった。アルパインのブランドイメージは、こうして引き継がれていった。

 

「いい音、アルパイン」。そのイメージの礎は、カウンタック、そしてディアブロという「最高のクルマ」の力を借りながら、妥協なき製品開発によって「最高の音」を追求し続けることで築き上げてきたのである。

 

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