アルパイン ブランドストーリーアルパイン ブランドストーリー
BRAND STORY
思想
軌跡
革新
04

果敢に進んだ
ALPINEへの道。

アルパイン誕生までの、10年の物語

2023.03.03

アルプス・モトローラ株式会社としての船出。

1976年10月、当時としては最先端となるカセット再生機能を持ったカーステレオが誕生した。フロントパネルをよく見るとFM/AMラジオの切り替えボタンの上に、「ALPINE」の文字が見てとれる。実はこのカセットカーステレオこそ、「ALPINE」の名が初めて刻まれた製品。アルパインの社員たちにとっては、長く苦しい時代を経て、ようやく自社のブランド名を掲げることができた記念すべき製品なのである。

 

「ALPINE」ブランド、すなわちアルパインの創業のストーリーは、この製品が発売される10年前から始まる。1967年5月、アルプス電気と米国・モトローラ社との合弁会社として誕生した「アルプス・モトローラ株式会社」。これがアルパインの母体となった会社だ。

 

電子部品の専門メーカーであるアルプス電気は、もともとモトローラ社と取引を行っていて、バリコン(バリアブルコンデンサー)やスイッチ、さらにはテレビチューナーなどの部品を広く納めていた。一方、モトローラ社には自動車部門があり、トラックのカーステレオを開発した際にアルプス電気と一緒に事業展開する話が持ち上がり、合弁会社の設立に至った、という訳だ。スタート時は外貨規制があり、アルプス電気が60%、モトローラ社が40%の出資比率だったが、すぐに50%の対等出資となった。

 

brand_04_02.jpg

 

8トラック全盛期に、先進的な製品を生産。

翌1968年には合弁会社の第1号製品となる8トラック・ポータブル・プレイヤー「カータブル」の生産がアルプス電気の横浜工場の一角で始まった。これがアメリカで大好評を博した。その勢いに乗るかのように、1969年には福島県に「いわき工場」が完成し、新たな生産拠点として稼働を開始。翌年から横浜の各部門が、このいわき工場に続々と集結した。製品は、ホーム用として国内メーカーへOEM供給した「8トラック録音再生ステレオプレイヤー」をはじめ、「カーラジオ用チューナー」「ミニエイトカーステレオ」などを生産。そして70年には、携帯用8トラックプレイヤー「ハンディ8」を発売。このハンディ8は、AC・バッテリー・乾電池の3電源が使用でき、セパレートタイプのスピーカーを内蔵した “元祖ラジカセ”とも言える製品で、市販市場で注目を集めた。アルプス・モトローラ社はモノづくりの会社として、今のアルパインにも通じる先進的でオリジナリティのある製品を次々と生み出していった。

 

brand_04_03.jpg

 

経営を揺さぶった、「利益なき繁栄」。

しかし、経営の内情は順風満帆とは言えなかった。モトローラ社の「注文を全量保証する」という約束が履行されなかったことが、経営に大きく影響した。そうなると従業員の雇用を守るために、製品の販売先を探し回らなければならなかった。

 

あらゆる手を尽くして受注を得たが、取引が5年以上継続することはなく、取引先の意向に左右される日々が続いた。たとえば予定していた受注量1万個を、たった1本の電話で半分に減らされたこともあった。逆に急遽、受注量が1.5倍に増えたこともあったという。しかし、それはそれで計画生産ができない。売り上げは伸びていたが、受注額が拡大するほど、受注の獲得と解消の振幅の大きさが経営の根幹を揺さぶっていった。これこそが当時の会社経営における最大の課題であった。モトローラ社に言われるがまま100%経営依存していたが、いくら頑張ってもロイヤリティーの支払いで儲けは少なく、その内情は「利益なき繁栄」であった。

 

brand_04_04.jpg

 

合弁会社を解消し、ついにアルパイン誕生。

ちょうどその頃、オーディオの世界は大きな転換期を迎えようとしていた。オランダのフィリップス社がカセットテープ(コンパクトカセット)の特許を無償公開したのだ。フィリップス社はコンパクトカセットの互換性を厳守することを条件に基本特許を無償公開し、日本のメーカーにも規格統一を呼びかけていた。アルプス電気はこのコンパクトカセット方式をモトローラに提案していたのだが、なかなか合意できないでいた。また、第一次オイルショックの不況の波が襲いかかった時期でもあった。工場のラインはストップし、社員が全員で敷地内の草むしりをした日もあったという。それでも社員たちは、会社の未来に希望を抱いて製品を創造し続けた。不安定な経営状況が続くなか、克服するには自主性ある経営体制へ変換するしか道はないと、経営陣は考え始めていた。

 

突然、機運は高まった。モトローラ社は、通信や半導体ビジネスが好調になっていく一方で、あまり儲からない自動車部門やTV部門について見直し、売却する決断をしたのだ。そしてモトローラ社からの申し込みにより、アルプス電気は株式の買収へと動き始め、交渉の末に円満に合弁事業を解消する運びとなった。ブランド名も「ALPINE」に一新。1978年11月には、「アルプス・モトローラ株式会社」から「アルパイン株式会社」に社名を変更した。

 

不安定で自主性のない歯がゆい10年を経て、ついに社員たちの夢が叶った。自分たちで製品をつくり、自分たちの名を冠して、自分たちで売る。悲願だった完成品メーカーとしての新たなる旅立ち。ここからALPINEブランドは、世界の高みを目指して挑戦を始めていくことになる。

 

brand_04_05.jpg