渋滞中でも
子どもを笑顔に。
リアビジョンという魔法
売れなかったフリップダウンモニター。
日本の自動車文化のひとつであるミニバン。週末となれば、家族全員でミニバンに乗って出かけ、ドライブを楽しむ。そんな風景が日本では当たり前になっているが、そのミニバンの天井に装着されているモニターは、アルパイン製品が先駆けであることをご存じだろうか。その名は、リアビジョン。渋滞中のつまらない車内空間を、楽しい空間に革新した、アルパインの名作のひとつである。
実はリアビジョンの元祖は、アメリカで生まれた。2000年代初頭、クルマの中を数多くのモニターでカスタムするのが流行した時期がある。当時、この需要を受けてアルパインのアメリカ法人が、クルマの天井に装着できるフリップダウンモニターという製品を現地で販売していた。これを日本でも、という話になり製品ラインアップに加えたのだが、売上げは何年も伸び悩んでいたのである。
ちょうどその頃、アルパインで商品開発を担当していた西田は、父として子育て真っ最中であった。愛車はミニバン。週末には、セカンドシートに我が子を乗せて出かける訳だが、渋滞になるとすぐに子供たちはぐずり始めた。いつ着くのだの、つまらないだの、もう帰るだの…と、不満交じりの声が運転席の後ろから聞こえてくる。家族で楽しい思い出をつくるためのドライブなのだが…。西田はこの状況に困り果てていた。
ある日、そんなことを雑談で同僚の有福に話すことがあった。有福もまた、子育てに奮闘中の父。愛車のミニバンで出かけるたびに、同じ状況になるという。「これは、日本中の子育て家族が抱えている問題なんじゃないか…」そう感じ取った西田に、思い浮かんだ製品があった。販売が伸び悩んでいたフリップダウンモニターである。「あれを子育て家族のミニバン向けの製品としてセグメテーションし直し、あらためて売り出したらどうだろうか」。そんなアイデアを思いついたのだ。
普及のために、まず「取り付けキット」から。
西田のアイデアに、「やってみろ」と上司や経営陣が後押しした。しかし、ただコミュニケーションをする相手や内容を変えるだけでは上手くいかないことが西田には分かっていた。すでに西田は日本でのフリップダウンモニターの販売不振の理由を、ユーザーや流通に対して徹底的にヒアリングしていたからだ。そして最大の問題が、取り付けの難しさであることを掴んでいた。それまでは一台一台、クルマの天井の内装を切って、現車に合わせてモニターを取り付ける必要があった。加工には独自のノウハウや技術が必要であり、それゆえ取り付け加工ができる店舗は極めて限られていた。この状況では、絶対に広く普及しないと西田は確信していた。
そこでまずは簡単にモニターの施工ができる「取り付けキット」を車種ごとに開発・販売することから着手した。対象は人気のミニバン7車種。7「車種」といっても7「種類」ではない。1車種で内装色が2色用意されていたり、サンルーフ装着車も存在しているのであれば、取り付けキットのバリエーションとしては1車種につき4種類ほど必要になる。もちろん4種類用意しても、たとえばサンルーフ装着車用は数が出ないことは明らか。それでも、アルパインを選んでくださるお客様のためにそれぞれの取り付けキットを用意した。もともとアルパインはオーディオの取り付けで業界をリードしてきた歴史があり、モニターであっても取り付け、すなわちインストレーションには並々ならぬこだわりを持っているのである。
リアビジョンのために、仲間がひとつに。
インストレーションの整備によって、フリップダウンモニターの販売数は少しずつ上向きになった。そして2007年、ついに日本独自のフリップダウンモニターを開発・発売することが決まった。それまでのアメリカ開発のモデルは最大9型の画面であったが、ミニバンの車内にふさわしい10型大画面を採用し、デザインもスタイリッシュに一新。当時、アルパインマーケティングの社長であった岩渕は、この日本独自の製品シリーズを「リアビジョン」と命名した。発売は2007年春、を予定していたのだが…。ストーリーは、順調には進まなかった。
2007年の春をずいぶん過ぎていたある日、西田は台湾にいた。西田が先頭に立って開発してきたリアビジョンは、生産にあたって様々な問題が起こり、いまだ市場に出回っていない状態であった。西田は開発担当としての責任を果たすべく、現地台湾に行き、必死に関係各社と交渉を続けてきたのだが、事態を改善することができず、ついにひとつのタイムリミットを迎えた。「もう、正直に報告するしかない」。西田は台湾から、社長の岩渕に電話をかけた。岩渕からの厳しい言葉を覚悟していた。ところが岩渕の声は、終始穏やかだった。「元気でやってるか?あんまり無理するなよ」。岩渕はリアビジョンについて、自分から口に出すことはなかった。西田が力を尽くしていることは、遠く離れていても分かっているからだ。岩渕の優しさに、電話口で号泣する西田がいた。
大きな責任を感じていた西田のもとに、開発支援のためにメンバーが集まった。台湾にも仲間がローテーションで現地入りし、フォローを行った。営業部門も、売る製品がないという厳しい状態を耐え抜いた。こうして皆が力を合わせて危機を脱し、2007年の冬商戦の前にリアビジョン「TMX-R1100」は市場に潤沢に行き渡った。リアビジョンは、子育て家族の悩みをソリューションする新製品として爆発的なヒットとなり、カー用品の名誉のひとつである用品大賞も受賞。リアビジョンの成功に続けとばかり、競合各社も後席モニターを次々と開発し、この新たな市場に参入し始めた。ほどなく「カーナビ」「バックカメラ」「後席モニター」はミニバンの『3種の神器』と呼ばれるようになり、新車購入時にこの3つをシステムで装着するのがミニバンオーナーの喜びにまでなっていた。そしてリアビジョンは数ある後席モニターのリーダーとして進化を続け、今なお高い人気を誇るロングセラーモデルとなったのである。
あれから約15年。西田がプライベートでドライブに出かけ、ミニバンが前を走っていると、リアビジョンを装着しているかどうか思わず見てしまうと言う。そして渋滞の中で、魔法にかかったかのようにリアビジョンの画面に夢中になっている子供たちの様子が分かると、西田の顔も自然と緩むそうだ。